書道教室 一般社団法人日本書法院

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やさしい写経

  般若心経の結句には、「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶」という真言(呪文)があります。これは心経の内容を総括的に表わそうとするもので、仏教の教えが集約されているといわれるものです。この真言を三回唱えれば、心経全文を三回唱えたことになるといいます。経典を一字、一字、書写する写経において真言を書写するということは、さらに大きな功徳になって全文の書写に通じることになりましょう。

  写経のためにまとまった時間がとれないとき、「般若」「心経」「掲諦」など、断片的に二字、三字、あるいは五字、十字を経文から選んで、真心こめて書写すれば、心経全文を書写したことにもなるのです。(本体1,300円)

 

般若心経

  写経は、清浄な心を求める修行ですから、正しい作法で真心をこめてすれば、その字は一字、一字が仏になっていきます。写経の功徳は、これほど広大なもので、ここにこそ、一字一仏、一字一仏塔、一字一蓮台写経の意義が生まれてくるのです。

  まして、全文を書き通すということは、円満の功徳というほかはありません。法華経の法師品には、「若し復た人ありて、経典を受持し、解説すると共に、これを書写すれば、よく大願を成就す」とあります。

  近年、写経をする人が多くなりましたが、経典の内容、意味までは理解されていない人が多いようです。本書では、簡単に『般若心経』の解説を試みましたが、経典の内容を理解して写経をすれば、より深い、より大きな功徳があるといえましよう。

仏心者慈興悲

  仏心とは慈と悲なり(『性霊集』)。「愛より愛は生じ、愛より憎しみは生ずる。憎しみより愛は生じ、憎しみより憎しみは生ずる」(『増支部経典』二より、川邊尚風書)

  キリスト教は愛を説くが、仏教は慈悲を中心としている。仏教にとって愛は憎しみと背中合わせであり、いかなる愛もその中に憎しみの可能性を蔵していると考える。愛が深ければ深いほど憎しみの可能性も大きくなるからである。人間愛が自己愛から始まって性愛に到り、さらに自己愛の最も病的な形をあらわした渇愛(病的執着)に到る深まりを段階的に説いている。この渇愛が人間の愛の本体であり、苦悩を生ずる原因でもある。

  この苦悩の中から呻き、即ち「悲」が生まれてくる。自分の呻きを知る者は他人の苦悩もわかり、苦悩するすべての者に親近感、友情を持つようになる。これが「慈」である。すなわち、わたしが、誰に、どれだけのという条件を意識することなく、他者を幸せにする無条件の大愛、仏教における他者への愛の究極の姿が「慈悲」である。決して高きから低きに向かうものではく、常に同じ高さにあるもの同士の心のふれあいを重んじている。仏教の慈悲の心とは常に広大である。

般若心経秘鍵(空海)

  「観入修智慧 深照五衆空 歴劫修念者 離煩一心通」 観入智慧を修して、深く五衆の空を照らす。歴劫修念の者、煩を離れて一心に通ず。(空海『般若心経秘鍵』より、川邊尚風書)

  観自在菩薩が智慧の修行を実践して、深く色・受・想・行・識からなる五蘊の皆空なることを照見する。長い時間修念するものは、その結果として煩悩を離れ、一心・心如のさとりの境地にいたることができるという意味である。